ことば力を磨く③「聞く」
2020.06.12
読了目安時間:約分(約字)
札幌でフリーデザイナー・コーダー・コピーライターとして活動しています、わたるデザイン企画の五十嵐です!
「ことば力を身につけるシリーズ」の第五回は『ことば力を磨く③「聞く」』です。
1段階目の「読む」、2段階目の「書く」の2つは「自分の使える言葉を広げていく」段階でした。
今回の「聞く」段階は「言葉を深めていく」ことをしていきます。これまでの段階と比べると少し大きく考え方を変える段階になるので、焦らず、少しづつ説明していこうと思います。
前回までの記事をまだ読んでないよという方は是非こちらから読んでみてくださいね!
第一回 「ことば力」とは何か?
第二回 ことば力の磨き方
第三回 ことば力を磨く①「読む」
第四回 ことば力を磨く②「書く」
「わたし」という言葉の意味
「わたし」という言葉を使った時、それは何を意味するでしょうか?
特別な場合をのぞいて、「わたし」という言葉が意味するのはその言葉を使った「自分自身」です。
いがらしわたるという人間が「わたし」と言ったならそれは「いがらしわたる」という意味になるし、山田太郎さんが「わたし」と言ったなら「山田太郎」という意味になります。
2人の人間が同時に「わたし」と言ったとしても、それぞれが意味するのは別の人間のことを指すわけで、それはもはや説明も不要で互いにこんがらがるようなことはありません。
なぜそんな当たり前のことを今更説明しているのかというと、この「同じ言葉を使っていても、使う人によって意味が違う」ということが、ほぼ全ての言葉において共通のことだからです。
「わたし」や「あなた」といった言葉に関しては言うまでもないことかもしれませんが、ほぼ全ての言葉で「自分が使っている意味と相手が使っている意味が違う」と意識している人はほとんどいないのではないでしょうか?
ことば力を磨いていく上で、一度これまでの感覚を取り払って「自分が使っている意味と相手が使っている意味が違う」ということを意識できるようになることが、「聞く」段階ではとても重要になります。
言葉の役割
そもそも言語というものには「共通性」が不可欠です。
誰にも通用しない、自分1人しか読解できない言葉は言語として成り立ちません。「言葉と意味」のセットがある程度の人々の間で共通の認識となって初めて言語として成り立ちます。
その成り立ちから考えると、「使う言葉とその意味は、使う人によらず同じである」という認識は間違ってはいません。言葉とその意味を共通のものにするという目的で言葉が作られているのですから。
ただ、あくまでもそれは言葉というものが生まれた「理由」であって、現段階で「言葉と意味の共通化が達成された」というわけではありません。言葉が生まれて何千年経ったのかわかりませんが、いまだ道半ばなのです。そして恐らくこれから先もずっと、道半ばなままなのだと思います。
というのも、言葉では表現しきれない、共通にしきれない領域がこの世界にはあるからです。
そもそも人の感情や感覚などは、目にも見えず、得体が知れず、それがどこで生まれてどうして人の行動に影響を与えるのか、はっきりと説明できるでしょうか?
哲学から始まり何千年もかけて発展してきた科学においても、人の心や感情というものを100%理解することはできていません。
そんなものを、例えば「楽しい」とか「悲しい」とか、たった数文字の言葉で表現できているでしょうか?
自分の心が今感じている「楽しい」と相手の心が今感じている「楽しい」が全く同じものだと言えるでしょうか?
自分の主観と相手の主観、それはどうあがいても交換できないし、100%理解できるものではありませんよね。
つまり言葉というものは、「人それぞれの主観性を互いに理解することはできない」ということを前提とした上で、「人間社会を円滑にして、発展させていくための最低限の共通認識を作るためのツール」であって、「互いの心を理解し合うためのツールではない」のです。
このことを意識できないままでいると、「自分のことを相手は理解してくれるだろう」とか、「相手のことを自分は理解している」という勘違いを当たり前にしてしまうことになります。
その勘違いがコミュニケーションの精度を著しく低下させるということを、まずは理解してもらえたらと思います。
「相手に理解されない、相手を理解できない」ことが前提で、だからこそもっと丁寧に「ことば」を考えよう、ということです。
なぜ「聞く」のか
言葉というものの本質を少し深めたところで、ようやく本題の「聞く」ことです。
一般的なコミュニケーションスキルの話であれば、聞くことは「相手を理解すること」とか「共感すること」という意味・目的で表現されるかも知れませんが、前述の通りそれは幻想にすぎません。「理解」や「共感」なんていうものは、ことば力を高めて、親密なコミュニケーションをとって、それで得ることができたら奇跡、というくらい難易度の高いことです。
逆に人の「理解」や「共感」に対する欲求も高いことは確かなので、そこにアプローチすることは一定の成果が得られるとは思います。
だからといって、「うなずき方」とか「相手の言葉を繰り返す」とか、そう言った安っぽいテクニックを使うのは、僕はおすすめしません。
そんなものは時代が変われば廃れるスキルです。時代の変化スピードが高速化した現代ではすぐに無駄になってしまうでしょう。
「聞く」段階で考えるのはそういったうわべのスキルではありません。これは全ての段階でも同じです。
この段階ではこれまでの「読む」と「書く」の段階で増えた語彙(言葉の量)に「関連性を増やす」作業をします。
「関連性を増やす」とは、「この言葉はこんな意味でも使うんだな」というように、「言葉と意味」のセットを増やしていくことです。
相手が「楽しい」という言葉を使ったときに、それが「どんな流れで、どんな状況で、誰と何をしたから楽しい」と言っているのかを考えます。できればその人の生い立ちや背景もセットだとより良いです。
その人が使う「楽しい」という言葉に、なるべくたくさんの関連する言葉や意味を探して、それをセットで「聞く」ことが重要です。
そうすることによって、今まで自分の中で「楽しい」と定義していたことが急激に広がっていきます。自分が思う「楽しい」以外にもたくさんの「楽しい」があることを知ることができ、より今の自分に適切な「楽しい」の使い方ができるようになっていきます。
これを他の言葉でもやっていくと、自分の中の言葉のネットワークのようなものが縦横無尽に広がっていき、言葉と意味の組み合わせが膨大に増えていきます。
言葉のネットワークが広がっていくと、自分が言葉を使う時、あるいは相手の言葉を聞く時の選択肢が広がることになります。
だから相手が「楽しい」とひと言発した時に「この人はどういう気持ちで楽しいという言葉をつかったのかな?」ということを考えやすくなります。
先に説明したように100%相手の気持ちを理解したり自分の気持ちを表現することはできないですが、「理解できる、表現できる」と思い込むよりも「理解するため、表現するための選択肢が多い」方が良いよね、ということです。
「書く」段階では自分の言葉を自分で読む、聞くということをするわけですが、そこで認識した自分の言葉の使い方と、相手の言葉の使い方の違いを感じられることが「聞く」ことの良い点です。
「書く」段階までだと自分の領域を出られず、「聞く」段階だけだと違いを感じるのが困難になり、言葉のネットワークは広がりません。「読む」段階をやっていないと、そもそも書くことも聞くことも思うようにできないので、当然欠かせません。
これまでの3つの段階を繰り返しやっていくことで、自分の頭の中の言葉のネットワークはどんどんと広がっていきます。
どう「聞く」のか
少し長くなってしまいましたが、この段階は概念を理解して意識を変えることが最優先で大事なことだったので、ご了承ください。
最後に、具体的に実践する時に意識すると良いことのアイデアをいくつかお教えします。
ひたすら観察する
先ほど「楽しい」という言葉を例にあげた時に、
相手が「楽しい」という言葉を使ったときに、それが「どんな流れで、どんな状況で、誰と何をしたから楽しい」と言っているのかを考えます。できればその人の生い立ちや背景もセットだとより良いです。
という話をしました。「聞く」段階の実践で意識することはまさにこれで、相手が使う言葉の背景を徹底的に収集することになるのですが、普段の会話の中でそこまで根掘り葉掘りインタビューをするわけにはいきません。
「この前旅行に行って楽しかったさー!」という友人に対して「ほうほう!一体どんな生い立ちでそうなったんだい?」と聞くわけにもいきません。絶対に嫌われますよね。
そこで、いつでもできるのが観察です。
観察する対象は2つ。その人の見た目と使う言葉です。
「見た目」からわかることはたくさんあります。どんな服を着ているのか、どんな姿勢、どんな目線、どんな食事の仕方、どんな歩きかた、、、
見た目をよく観察していくと、その人の生活や性格を想像しやすくなります。
もう1つの「使う言葉」。
例えばよく使う口癖だったり、話す相手によってどう言葉を使い分けているか、どんな言葉を使う時に楽しそうで、どんな言葉を使う時に表現につまずくか、そういったことを観察します。
どちらにも共通してよく観察したいのが、「変化したタイミング」です。見た目も言葉も変化したタイミングというのは何かから影響を受けた可能性が高いです。
何に影響を受けたのか?どんな影響を受けたのか?というのはその人の背景を知るためにはとても効果的な情報です。
しかも、そういった変化をした人はそのことを「話したい」ことが多いので、その変化を少し聞いてあげると色々と話してくれます。その分たくさん情報を得られます。
こんなふうに、相手のことをよく観察することで、言葉とその言葉に関連する背景や心情を集めることができます。
映画やドラマや小説
映画やドラマ、小説などのエンターテイメントなコンテンツは、言葉と意味の関連性を集めるには効果的です。
「読む」段階でもこうした本や映像から言葉を集める方法をおすすめしましたが、この「聞く」段階においてもとてもおすすめです。
こういった作品はいわゆる「比喩表現」というものをふんだんに使っています。
映画やドラマでも、何気なく映した風景で何かの心情を表していたり、心情とは逆の言葉を使っていたり、「言葉と意味」のセットが豊富に含まれています。
単純に楽しんで観るのもいいですが、そういった表現手法に注目して観るのもおすすめです。
「つまらない話」を聞く
人の「つまらない話」は普通なら聞きたくないですよね。
でも、例えば仕事の付き合いで飲みに行ったりして、聞きたくもないつまらない話を延々と聞かされるなんてことはあるわけです。
最悪だなぁ、早く帰りたいなぁ、と思うかも知れませんが、ことば力を磨く上では実はとてもいいチャンスなんです。
つまらない話というのは、多くの場合「その人の主観が強い話」です。
もはや死語になりつつありますが「俺の若い頃なんてよ〜」から始まる話がまさにそうです。自分の苦労話や武勇伝を聞き手のことお構いなしで話してきますよね。この「聞き手のことをお構いなし」というのがミソなんです。
話が上手な人は、「こちらが聞きやすい言葉」を選びながら話してくれます。つまり相手側が「ことば力」を駆使して「こちらのよく使う言葉」を引用したりしながら話してくれるわけです。そういった人の話はとても聞きやすいし参考にはなりますが、「その人自身の価値観からくる言葉」というのは逆に見えにくくなります。
それに対して聞くに耐えないつまらない話というのは、「その人の価値観がぎっしり詰まっている」のです。だからそういう話を観察しながら聞くと、その人の使う「言葉と意味」のセットがたっぷり手に入るわけです。
つまらない話を聞く時間を無駄にしない、非常に効果的な考え方だと思います。
今の若い人はそういったつまらない話を聞きたくないのか、仕事の飲み会などにあまり参加しないという話を聞きますが、僕は若い人ほどたくさんの「言葉と意味」のセットを得るためにも積極的に参加してもいいんじゃないかと思います。
まとめ
かなり長い記事になりましたが、最後まで読んでいただいた方はありがとうございます。少しでも言葉に対する考え方を変えていただけたらより嬉しいです。
今回の「聞く」段階で提案した具体的な実践に関して、正直いきなり実践するのは難しいかもしれません。特に、家族や友人など身近で大切な人に対してこれらを実践するのはおすすめしません。
そういった人たちとの会話で優先すべきなのはその人たちとのコミュニケーションだと思います。「この人の背景は、、、」とか「どういう格好しているか、、、」なんて余計なことを考えてると、相手からみると「この人話聞いてないんじゃない?」と思われる可能性もあります。
言い方は悪いですが、相手との関係性がさほど重要ではないシチュエーションから始めるのが良いかと思います。
そこで会話しながら観察したり背景を想像するということに慣れていけば、相手をないがしろにすることなく会話できるようになると思います。
あとは、始めのうちは会話しながら考えようとしないで、会話が終わった後にゆっくり振り返りながら考えるのも良いと思います。
ここまでの3段階で、ことば力を磨くことの基本的な流れは出来上がりです。
読んで、書いて、聞く。
この3つを繰り返すことで、ことばに対する意識がかなり変わっていきます。
そして最後の「話す」段階は、それらを繰り返していくためにとても大切な役割を果たすのですが、その話はまた次回。
ではまた〜!