わたるデザイン企画

行動の「原動力」:脱ニートに効果的な考え方①

2020.10.10

脱ニート

読了目安時間:(約字)

誰でも何か新しい行動をしようと思った時には不安や迷いが生まれると思います。

「こうなったらどうしよう?」

とか

「こうなるかもしれないからやめておこう」

って感じで、何かしら「やらない理由」を探して行動しない方向に自分を持っていってしまうことはよくあることで、誰でも経験があることではないでしょうか?

僕がニートだった頃というのは、この「やらない理由探し」というのがすこぶる得意な状態で、何かにつけて「でも」とか「だって」とか言って、本当に無理やりにでもやらない理由を作って行動しない、というのが習慣化していました。

当時友達から「お前なんでも否定するよな」とはっきり言われたこともあります。「やらない理由ばっか探さないでとりあえずやってみりゃいいじゃん」とも言ってもらっていたんですが、それでも当時の僕は行動する方に進むことはできませんでした。

全てのニートがそういう状態だとは言いませんが、少なくとも「行動力の無い人」には共通してこの「やらない理由を探す」習慣があるのではないかなと思います。

そして僕が脱ニートする時に一番の壁となったのが自分のこの考え方だったのです。脱ニートしようと思っているはずなのに、気がつけばやらない理由を探している。そんな状態から抜け出すために一番効果的だった方法について、今日はお話ししようと思います。

ニートの方に限らず、「行動力がないんだよなぁ」と思っている方には共通して効果的な考え方じゃないかなと思うので、是非ご一読を。

「行動」を分解する

「行動」って何でしょう?

漢字から読み解くと「おこなって、うごく」となり、「行」も「動」もどちらも何かしらの動作をすることだとわかります。「行」の方は「いく」とも読みますから、「進む」というような方向性を持った感じでもあります。

つまり行動とは「方向性をもって動く」というような意味だと捉えることができるかなと思います。

では「方向性」とは何でしょう?何がその「方向」を決めるのでしょう?

あなたが「コンビニに行く」という行動をする時、あなたは何を考えてその行動をとりますか?

お腹が空いたからお弁当を買いたくて?
公共料金の支払いのため?
友達との約束まで少し時間があるから、時間潰しのため?

どうでしょうか?
例え大したことではなくても、必ず「理由」がありませんか?
全くの無意識で、気がついたらコンビニにいたということは(全くとはいいませんが)無いはずです。
「何かをしたい」もしくは「しなきゃ」と思ってコンビニに行くはずです。

その理由、いわゆる「動機」というのが、「行動の方向」を決めているのです。
動機がなく歩き始めたらどうなるでしょう?

どこで曲がればいい?どこで止まればいい?体力が尽きるまで歩く?

決められないですよね。

「ダイエットのために30分運動しよう。だから15分で行けるところまで行って帰ってこよう」

なんていう風に、動機があるから道順とゴールを決めて歩けます。

もしくは、

「今日は天気がいいから、散歩をしたら気持ちいいだろうな。気の向くまま、ちょっとあるいてみようかな」

なんていう動機でもいいですよね。動機なく歩くのとは違って「あ、川があるな。川辺を歩いたらもっと気持ちいいいだろうな。そっちに行ってみよう」という風に、自分で歩く進路を決めることができます。
行動には必ず動機があるものだと、わかると思います。

そしてその動機というものは、自分の感情とか、意志とか、欲求とか、そういったところから出てきているというのも、わかるのでは無いでしょうか?

お弁当を買いに行くのは、空腹を満たしたいという欲求です。
公共料金を支払うのは、義務をはたすという意志があるからです。
暇を潰すのは、少しの時間も楽しみたいという感情です。

コンビニに行くだけで何を大袈裟な、と思うかもしれませんが、こうした小さな「感情に基づく行動」を繰り返して、積み重ねて人は生きているということを、まずは知っておいて欲しいと思います。

どんな行動でも必ず自分の意志、感情、欲求に基づいているのだという意識が、やがて自分の行動を後押しする最大の勇気になるのです。

「やらない理由」では否定できないもの

行動という言葉を整理してみました。
「自分の意志、感情、欲求に基づいた方向に動くこと」が行動だとわかりましたね。
このことが「行動力」に結びついていくのですが、それはどうしてだと思いますか?

最初に行動を邪魔する「やらない理由探し」のお話しをしました。
僕の脱ニートを妨げた大きな敵です。
この「やらない理由」が否定しているのは何でしょうか?

脱ニートをしたい、と思ったとしましょう。
脱ニートをするにはどうしたらいいか、考えます。

・バイトする
・就活する
→直接応募する
→ハローワークにいく
 →職業訓練にいく
・若者支援センターに行く

これは僕が脱ニートしようと思った時に実際にノートに書いていたメモです。当時の脱ニートを記録したノートに残っていたものです。

ニートを脱する、つまり社会に出て働くためにはどんな方法があるか、思いつく限り、調べた限りを箇条書きで書き出したものですが、実はこの後ノートにはさらにメモが追加されています。

・バイトする→3年前にチャレンジしたけどダメだったから無理
・就活する
→直接応募する→バイトも無理なんだからできるわけない
→ハローワークにいく→怖いからやだ
 →職業訓練にいく→怖いからやだ
・若者支援センターに行く→周りの目が気になる

どうでしょう?これがリアルなニートの思考です。

自分で考えた行動の選択肢のはずですが、ことごとくやらない理由をつけて否定していますね。「怖いからいやだ」とか、最早なんの理由にもならないことでも無理やり理由にしてやらないことにしています。

ここで重要なのは、やらない理由が「行動の何を否定しているのか?」ということです。

改めて、行動とは「自分の意志、感情、欲求に基づいた方向に動くこと」でした。やらない理由が否定しているのは行動のどの部分でしょう?

僕が考えたのは「脱ニートをするための行動」でした。つまり、

脱ニートをしたいという意志に基づいて
→バイトをしてみようか
→就活してみようか
→若者支援センターにいってみようか

という行動の方向の選択肢を考えたわけですね。
そして僕がやらない理由で否定したのはその「行動の方向」の部分です。

バイトをするとか、就活するとか、具体的な行動の方向性は否定しましたが、その根本にある「脱ニートしたい!」という想いの部分は否定していないのです。

これこそが気がつくべき一番大事なところです。

やらない理由ではどうしても否定できないのが「自分の意志、感情、欲求」なんです。これだけは、自分にも他人にも、論理でも否定できない絶対的な領域です。
自分が、他人がいくら「その方法じゃできないよ、無理だよ」と否定したとしても自分の「やりたいんだ!なりたいんだ!」という意志、感情、欲求までは否定できません。

そんな否定できない意志、感情、欲求があることに気がついたなら、いくらやらない理由を並べても行動したい気持ちが少しずつ、本当に少しずつですが高まっていきます。

僕は脱ニートしよう、と思ってから実際に1歩踏み出して行動するまでに約半年かかっています。その半年間、何度も何度もやらない理由を自分で作って行動の方向を否定しては、その度に「でも脱ニートしたいんだよな」という気持ちを思い出して、またやらない理由作って、また気持ちを確かめて、、、と繰り返しました。

この「決して否定できない確かな意志」というものを見つけられたことが、僕が脱ニートという行動を実行できた1番の要因です。

逆に言えば、この意志の部分を否定できてしまううちは、本当の自分の意志にたどり着いていないということもできると思います。

「1番になるぞ!」と息巻いて行動しようとしてしんどくなった時に「でもまぁ、1番じゃなくてもいいかぁ」と、「自分の意志、感情、欲求」を否定できてしまうようであれば、その行動は絶対に達成されないはずです。

その時は「じゃあ1番になりたいわけじゃないならどうなりたいんだ?」と自問してみてください。もしかしたら1番になることじゃなくて「人気者になりたい」のかもしれないし、「お金が欲しい」のかもしれないし、はたまた全く違う自分の欲求があるかもしれません。

そうやって、自分の中に絶対に否定できない意志、感情、欲求を見つけられたなら、間違いなく行動するための原動力になります。

あとはその原動力をどう育てていくか。行動を阻害する不安や迷いに打ち勝つくらいの強い意志になるまで大事に育てていくだけです。

行動の「原動力」

いかがでしょうか?

行動とは「自分の意志、感情、欲求に基づいた方向に動くこと」で、絶対に誰にも否定できない「自分の意志、感情、欲求」を見つけることで、それが行動の「原動力」となる、という考え方のお話しでした。

普段から積極的に行動できる人からしたら「何を小難しいことをいってるんだ。そんなことを考えている暇があるならさっさと動け」と思うかもしれません。

ですがどうか、こうまでして考えないと動けない人がいるということもわかってください。こうして時間をかけて一歩踏み出したなら、これまたゆっくりではありますが、そのうち皆さんと同じように行動できるようになります。それまでどうか、あたたかく見守ってください。

でもうかうかしていたら、何も考えずに行動できるあなたよりももっとすごい行動力で追い抜かされますよ。

ウサギとカメの童話をご存知ですよね?

ただ行動できる人と「なぜ行動できるのか?」を知っている人。
さて、どちらがより効果的な行動力を発揮できるでしょうか?
どちらが「他人を行動させる力」を持っているでしょうか?

行動がうまくできないからこそ、「行動とは何か?」を考えることができます。
「できないこと」はチャンスなわけです。

もちろんできる人にだってチャンスはあります。
今ここで「行動とは何か?」という問いを得たことで、もう平等です。

是非一度、考えてみてください。