学ぶことを考えて実践する
2020.08.29
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こんにちは!こんばんわ!
札幌でフリーデザイナー・コーダー・コピーライターとして活動しています、わたるデザイン企画の五十嵐です!
今日は久しぶりの「ことば力実践」ということで「学ぶ」という言葉について考えてみたいと思います。
今年から、制作の仕事の他に、デジタルハリウッドSTUDIO札幌でトレーナーとしてWEBデザインを教える仕事をさせていただくようになりました。
もともと、このまま一人で仕事をしていくだけでは「成長の限界」が来るよなぁと漠然と考えていて、僕も今年で29歳になって、普通に勤めていたら後輩も増えて、チームリーダー的なポジションで仕事をする年齢ですし、何か次のステップの仕事をしたいなと思っていた時に不意に出会ったお仕事でした。
この教える仕事を初めて半年経ったところで、改めて「学ぶこと」「教えること」について考えてみようということで、本日のテーマとなりました。
「教える」仕事
わかっていたつもりではあったけど、教えるというのは本当に難しいことだなと思います。自分の持っている知識や技術をわかりやすく伝える、ということ自体はさほど難しいことではないのですが、生徒さんの「学び」「成長」をサポートするというのは、途方もなく難しいと感じています。
知識や技術というのは、情報としてこの世の中にあるものですから、それをそれぞれの生徒さんにわかりやすいように伝えるという、言わば「スキル」が必要なだけです。
ちょっと小難しい話をその人のわかりやすい言葉で伝えたり、自分で調べたり考える力のある人にはヒントを小出しにしたり、生徒さんそれぞれの特徴を観察して、それに合わせて情報の伝え方を工夫するスキルです。
これも難しいといえば難しいですが、スキルなので回数を重ねれば自然と上達はしていきます。
問題なのは「学びや成長をサポートする・促す」ということです。これが難しい。
「スキルの習得をサポートすること」と、
「学びや成長をサポートする・促すこと」の、
何が違うのか?
その違いは「実践の重要性」だと思います。
実践しているか否か
先ほど、知識や技術を教える時に必要なのはスキルだということをお話ししました。もちろん、教える側がその知識や技術に関しての経験が多い方が教えるのにプラスになりますが、それは教えることの量が増えたり、教え方の幅が広がるだけで、知識や技術の質が上がるわけではありません。
だから、教える本人がその知識や技術をそれだけ実践しているかというのは、そこまで重要ではないと思います。
これはどうしてかというと、知識や技術の習得というのは、「ゴール地点が人によってあまり差が出ない」からです。
人によって、目標とする知識レベル・技術レベルは若干違いがあるにせよ、よくある資格の等級制のように、1級と2級という「上下の違い」があるだけです。
目標設定として、90点を目指すか60点を目指すのかという違いです。
つまり教える側としては、100点取れる状態であれば、それ以上は特に何も必要ないわけです。
それに対して「学びや成長をサポートする・促すこと」はどうでしょうか?
「学ぶ」とか「成長」という言葉の意味は、使う人によってものすごく大きく違いが出ます。
それは、「学ぶ」とか「成長」というものが、その人の「在りたい姿」に由来するからです。
「こんなふうに働きたいな」
「こんなふうに楽しくありたいな」
「こんなふうに思ってもらえる人になりたいな」
というように考えてみてください。
あなたの場合は「こんなふうに」の部分に何が入りますか?
僕の場合は例えば、
「お客さんと一緒に考えて作り上げるような働き方がいいな」
「常に何か創造的・想像的に楽しくありたいな」
「あの人変な人だな、と思ってもらいたいな」
なんていうふうに思います。
どうでしょう?僕と全く同じことを考えたという人はいないのではないでしょうか?
人にはそういったそれぞれの願望があって、「学びたいな」とか「成長したい」と思う時にはその願望が原動力になっていたり、目標になっていたりします。
それは言葉にはしていなかったり、本人も無意識のこともありますが、何かしら「主体的な行動」の裏にはそういった自分の願望が入っているはずです。
「学びや成長をサポートする・促すこと」をしようと思った時に、その人がどうなりたいのだろう?どうありたいのだろう?と考えて、それに寄り添ってサポートするというのも大切ですが、もっともっと重要なのは「教える側の人間自身が、学び、成長しようとしているか」ということではないかと思います。
答えのない学び
知識や技術の習得と違い、学びや成長には正解や答えはありません。何千年も前からたくさんの偉人たちが人生を通して「こうしたら効果的かも」ということは残してくれていますが、それでも100%確実な方法なんてありません。
ましてや30年も生きてない僕だったら、教えられるようなことはほとんどなくて当然です。
だからこそ、「学ぶ」「成長する」ということにトライしなければならないと思います。
最後に僕が今実践していることを少しだけご紹介します。
「学ぶ」「成長する」ということの定義は人それぞれ違いますが、今の僕なりの考えと実践ということで、参考にしてもらえればと思います。
生徒さんが楽しく安心して学べる空気作り
怒られたり、息苦しい環境では学びたいという気持ちにはならないし、「自分がこうなりたい」という願望を生徒さんから引き出すなんて無理だと思います。
だから生徒さんには少しでも楽しく、安心して通ってもらいたいと思っています。
この実践に関しては、まず僕が楽しくあることだと思います。これは別に無理して楽しもうっていうことではないですが、そもそもこの仕事がやりたくてやらせてもらっているので、基本的にいつもめちゃくちゃ楽しいです。特に最近は出勤の日じゃなくても遊びにいくくらい楽しんでます。
安心する空間という点に関しては、僕は基本的に否定をしないことを意識しています。「否定しない」というよりは、「肯定する」という方がちかいかもしれません。
普段やっている「致知若獅子の会」の中に「美点凝視」という教えがあります。その人のいいところを見つけて、その人に伝えましょうという教えです。約3年この会に参加させてもらっていて、だいぶこの美点凝視が身に染み付いてきて、相手に対して否定的な見方をすることが減ってきています。若獅子の会の安心な空間を仕事でも作りたいと思います。
制作の仕事のクオリティをあげる
やはり、WEBデザイン・制作を教えるにあたって、「この先生は実際どんなの作れるのさ?」というのは大事だなと思っています。先ほど、知識や技術を教えるのに実践はさほど重要ではないと言いましたが、「知識や技術を活用する」ことを教えようと思うと、むしろ実践しないことには教えようがないくらい重要になると思います。
正直これに関してはまだまだ本当に高みを目指して行かなきゃいけないなと思います。頑張ります。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は何かをお伝えするというよりも、自分の中で改めて「学ぶこと」「教えること」について整理したい、そして日々の実践をしっかりやっていきたいという僕自身のための記事を書いてしまったかなと思います。
ことば力の実践としては、「学ぶ」「成長する」という言葉に関して、人それぞれその背景にある「願望」は千差万別だということ、そして相手の「学びや成長をサポートする・促すこと」を考える時にはその「願望」を汲み取ってあげること、あるいはその願望を開示してもらえるような人間であることが大事なのでは!?ということを、是非考えてみていただければと思います。
ではまた次回!