わたるデザイン企画

妖怪 “洗濯バサミ付け” 現る

2020.09.05

怪異研究

読了目安時間:(約字)

不思議な出来事というのは不意に起こるもので、その瞬間はいつも予測できないものである。

8月の最後の日、その日僕は午前中に1つ仕事を終わらせ、ひと休みがてらスーパーに食糧の買い出しに行くことにした。
衣装棚の中からズボンとTシャツを取り出し、パーカーを羽織って出かけた。残暑が厳しい最中、その日は急に気温が下がったのだ。

週の頭ということもあり、作り置きの料理をするためにもそこそこの量の買い出しを済ませ帰って来た。涼しくなったとはいえ、少し外を歩くとジトっと汗が滲んでくる。
僕は羽織ったパーカーを脱いでエプロンに替え、台所に立った。

かれこれ2時間ほどであっただろうか。少し手の込んだ料理と、作り置きの惣菜、お昼ご飯の準備、台所の片付けとひと通りの作業を終え、少し遅くなったお昼ご飯を済ませた。


お腹がいっぱいになると眠くなるのは血糖値のせいか、などと考えながら食後のまどろんだ時間を過ごし、さて午後からもうひと仕事しようか、と立ち上がった。
腰に手を当て、グッと上半身を反らせて伸びようとした時である。


ぱちっ

右手に何かが当たる感触と、小さな音が聞こえた。
背中の腰あたりに何かがあった。

とっさに振り返ると、そこには洗濯物を干すための洗濯バサミが落ちていた。
それも、バスタオルなどを干す時に使う、大きなサイズの洗濯バサミである。


どうしてここに?
あれ?それより今、僕の背中についていた?

些細であるが、突然の出来事に一瞬整理がつかない。
落ちていた洗濯バサミを手に取り、それが普段使っているものだと確認する。
この洗濯バサミが、僕の背中についていたのである。

僕は一人暮らしで、家には他に誰もいない。誰かがいたずらでつけることはないし、当然自分でつけることもない。
偶然ついた、ということも考えにくい。
最初からついていた、という可能性もあるが、衣装棚から出したTシャツを来て、パーカーを羽織って買い物に行っているのである。最初からついていたのならどこかで気づくか落ちているはずである。
僕が触って落ちた時は、それほど大きな力をかけたわけでもない。少し触っただけで落ちたのだから、それだけ長い間つけていたとは考えられない。

とすれば、何者かにつけられた、としか思えない。

一体何が目的かわからないが、この部屋に妖怪洗濯バサミ付けが現れたようである。

解説

いかがでしたでしょうか?
これは実際に今週僕が体験した話です。

少し大袈裟な書き方をしていますが、つまり日常の中で起きた「ちょっと不思議な話」です。「部屋で一人なのに背中に洗濯バサミを付けられた」ということを「妖怪洗濯バサミ付けが現れた」と表現しました。

おそらくこの話を聞いた人のほとんどが「気のせいでしょ」なんて思うのではないでしょうか。もしかしたら似たような経験をしたことのある人もいるかもしれませんが、その時もきっと最終的には「気のせい」として処理したでしょう。

そんな風に普段のなんてことないちょっとした不思議な出来事は、多くの場合「気のせい」という箱の中に入れられて忘れられていきます。

しかしその出来事が「頻発する」場合や「多くの人が同様の経験をする」場合、そしてそれが「情報として共有」された時、怪異の芽はそっと顔を出すのです。

「情報として共有された不思議な出来事」に名前や肖像が生まれた時、それは「妖怪」となります。これが妖怪の基本的な成り立ちといって良いでしょう。

厳密にいうならば「情報」「共有」「不思議」という言葉を明確に定義する必要がありますが、今回はざっくりとご理解いただければと思います。

今回僕は「部屋で一人なのに背中に洗濯バサミを付けられた」という不思議な出来事に対して、「同じような体験をした人が一定数いるであろう」という推測をもとに、先に「妖怪洗濯バサミ付け」という名前をつけて妖怪として扱いました。

僕一人しか経験していない、僕一人しか認識していない妖怪というのは、非常に力が弱いですが、こうして名前をつけて同じ体験をした人を探していって、「妖怪洗濯バサミ付け」という名前が多くの人に認識されていけば、晴れて立派な一人前の妖怪です。

みなさんもこのような「ちょっと不思議な体験」がありましたら、「気のせい」の箱に入れてしまう前に、誰か周りの人に話してみてください。もしかしたらそれは日本中で躍進しているまだ名前のない妖怪かもしれません。