わたるデザイン企画

大人の話が長い理由

2021.02.15

ブログ

読了目安時間:(約字)

最近clubhouseっていう新しいSNSに世間はちょっとざわついていますね。
声だけ・会話だけでつながるSNSというのは今まであったようでなかった、当たり前だけど新鮮な関わり方ができておもしろい。
僕も珍しく新しいものに早々に飛びついて、日々夜更かししてしまう組です。

いろんな部屋をのぞいてみるとこれまた面白い。
部屋主が上手に会話を回している部屋があったり、友達同士の気兼ねない会話のようにわいわいと盛り上がる部屋があったり。

そんな中、もちろんちょっと残念な部屋もある。

例えば、会話が続かなくてしょっちゅうシーンとなる部屋とか、おじさんが1人でずっとしゃべってマイクを渡さずメンバーがほんとに話したいことが話せない部屋とか。

でもこれってよく考えたらclubhouseに限ったことではなくて、実生活においても同じことはよくあって、会話がうまくいかないことってよくあるよなと。

で、そういう時って何が原因でそういう状況になるのかな?と考えてみた。

上手に会話を作れる人とそうでない人、その違いってなんだろう?

そうしたら見えてきたのは、
「会話がうまくいっているグループには ” 洞察力の高い人がいる ” 」
ということだった。

この洞察力という言葉は僕が最近ハマっている言葉で、何年も一緒にお仕事と勉強会をやらせてもらっているwin-winクリエイターの阿部竜司さんのYouTube動画で詳しく説明されている。興味ある方はそちらもぜひ見て欲しいんだけど、とにかく洞察力が何かっていうと、「相手の言動の背景にある価値観や感情や置かれた状況を想像して感じ取ろうとする力」っていう感じかなと思っています。

相手の言動に対して、
「何をしたのか?」を観るのが観察だとしたら、
「どうしてそうしたのか?」を観るのが洞察だと言えるでしょうか。

会話がうまくいっているグループの話に戻りましょう。

洞察力がある人が会話を回しているグループでは、話し手は常に「聞き手のために話す」ことを意識できるようになっています。
これは、会話を回す人があらかじめ「今はこんな話を聞きたいっていう人がいるんだよ」ということをナビゲートしているおかげです。
それも、ただトークテーマをはっきり示しているだけじゃなくて、まず聞き手になっている人たちがどういう人なのか?ということをしっかりと洞察しているのです。

こういうプロフィールの人だからきっとこう言う話が聞きたいのだろう、とか、今一瞬ミュートを解除したのは何か話したいことがあるのかな?質問したいことがあるのかな?とか、こういう質問をしたということは本質的にはこういう情報を求めているのかな?とか、そういったメンバーの言動の背景に常に意識を張り巡らせているのです。

そういう洞察力の高い人がいるグループでは、参加しているメンバーの中で置いてけぼりになってしまったり、話したいことを言えないままでいたり、聞きたいことを聞けないでいる人がかなり少なくなっていきます。
もちろん、話したくないのに無理矢理話をさせられるということも起こりにくいです。

だからそういった洞察力の高い人のいるグループでは会話の満足度が高く、かつ多くの人の意見が平等にテーブルに並ぶことになるので、よりクリエイティブな物が生まれる可能性が広がります。

会話が上手な人というのは、洞察力が高い人でもあるということです。

聞き手や話し手、それぞれの背景を想像してそれを受容した上で会話を発展させていく。そんな人が上司だったらいいなと、思いますよね。

ようやく本題なんですが、
どうして大人の話って長くてつまらないんでしょうね?
急にガッツリ偏見でものをいってしまいましたが、同意してくれる方は多いんじゃないかなと思います。

いわゆる中高年層の人たちって若い人の話は聞かないでずーと自分の話してくるよねって、思ったことがない人っっていないんじゃないかなと思います。

当該の中高年層の人たちだって多分若い頃にはそう思っただろうし、なんなら今でもさらに高齢層の人と話すときには思うかもしれませんね。このおじいちゃんおばあちゃん、話ながいなぁって。

これって実は、先に話した「会話が上手な人は洞察力が高い」っていう話に関係してくるのかなって、思ったんです。

ここまでの話を聞いて、「洞察力」っていうものを意識しながら生きてきた方ってどれくらいいるでしょう?
多分ほとんどいないんじゃないかなって思うんですよね。

比較的普通の人よりもたくさん言葉のことを考えているつもりの僕でもほんとについ最近この言葉を使うようになったくらいなので、日常的に洞察力という言葉を使っているという人は少ないだろうなと思います。

で、ですよ。

洞察力って、会話する上でとても重要な能力なわけです。
でも洞察力を意識して生きている人は少ない。
ってことは、会話が上手な人なんてそもそもめちゃくちゃ少ないよねってことになると思いません?

「大人ってほんと、こっちの話は聞かないで自分の話ばっかだよね」

って言ってるあなたも、いずれは同じことを言われる。もしくはすでに自分より年下の人には言われているかもしれません。

でもそれも当然のことで、僕らは生まれてから大人になるまでの間に、会話にとって大事な洞察力という力を学ぶ機会がないのです!

だって親や先生は「人の話を聞きなさい」っていうわりには子供の僕らの話を聞いてくれないし、「人の気持ちを考えなさい」っていう人は僕らの気持ちを考えてくれないんだもの。

僕らはコミュニケーションとはそういうものだと思って育ってしまう。

そもそも「人の話を聞く」ってどういうこと?
「人の気持ちを考える」ってどういうこと?

っていう疑問に向き合う機会が圧倒的に少ないんですよね。

でも僕らにはまだチャンスがあるんじゃないかなとも思うんです。
今日話したことが仮に真実だったとして、そうしたら僕らは「話を聞いてもらわないで育ってきた」ことになりますよね。洞察されないで生きてきたと。

それって「話を聞いてもらえなかった」「気持ちを理解してもらえなかった」っていうある意味痛みの体験として、僕らの中に蓄積されているんじゃない?
痛みを感じることができたら、その痛みを相手には味合わせないようにしようって発想になれる人はたくさんいるんじゃないかなって僕は思ってて。

どことなく、なんとなく、今の若い人たちってそういうわかりにくい傷というか、そういったものをみんな何かしら抱えて生きてきていて、だから周りの人にも優しくできる人がたくさんいるんじゃないかなって信じてるんですよね。

だとしたら痛みを感じているっていうことはチャンスだと思うんです。
「自分から洞察力を高めよう」って思えるチャンス。

まず自分から、相手の話を聞いてみよう。
どうしてあなたはそう言ったの?
どうしてあなたはそうしたの?
っていう背景を想像できる人になってみよう。

そう思えるチャンスじゃないかなって。

多分、今の時代は10数年前と比べると圧倒的に「誰でも声を発することのできる時代」になっていると思うですよ。
大企業の社長とか行政の長の人と、10代の学生さんが横並びで会話するclubhouseを見ていると本当にそう思う。
誰でも意見を持っていいし、誰でもそれを発することができる。
っていう、平等な時代になっているなって。

でもだからこそ、「声を発する機会を与えられなかった人たち」のことも考えてあげて欲しいなって思う。

「あの人話長いな、うぜえ」
じゃなくって。
「きっとこれまでに洞察力を磨くチャンスがなかったんだな。自分がまずは聞いてあげよう」
って感じで。

別に上から目線でいけってわけじゃなくて。
そういう風に聞いてあげられる人が増えたら、多分もっとたくさんの人で会話ができるようになるんじゃないかなと思うだけ。

会話できる人が増えれば、分かり合える機会も広がって、新しいものが生まれることももっと増えるんじゃないかって思う。
そしたら今はまだ解決できないいろんな問題にも、何かいいアイデアが生まれるかもしれない。
それってめちゃくちゃ良い世の中じゃん!って思うのです。

このブログを書いていて一番大変だったのは、僕自身が「人の話を聞かない話の長い大人」だっていうことを、この文字数の多いながーい記事が証明してしまっているという事実を棚に上げてメッセージを綴ることでした。

もっと洞察力を高めて、話を聴いてあげられる大人になりたいです。
がんばります。

阿部竜司さんの洞察力に関する動画はこちらから!