わたるデザイン企画

主体性の壁

2020.11.07

ことば力

読了目安時間:(約字)

「より多くの人が主体的に考え、行動選択をするようになればいいな」

と、常日頃から考えているが、当然人間はロボットではないわけだから、どこかにある主体的になるスイッチみたいなものをぽんっと押せば主体的になる、なんていうことはない。

どうにかして、影響力のある人間になって周りの人を少しずつ主体的に考えられるように導くしかないのだと思うから、まず自分を磨こう、人間として成長しようと考えている。

しかしふと、疑問が湧いてきた。

「とすると僕は、多くの人が主体的ではない、と考えているということか?」

と。この疑問が湧いてきたのはWIN-WINクリエイター阿部竜司さんのYouTube動画を見ていた時である。

できればまずそちらの動画を見ていただきたい。

『実践する「7つの習慣」~セルフ・リーダーシップ力の高め方~』

阿部さんの動画を空いた時間にちょこちょこと見て学ぶ時間があるが、新しいものはもちろん過去の動画を何度も見ることもある。

上記の動画は僕の中でもかなり重要なテーマでもあるので、すでに何度も見ている。

僕が気がついたのは「主体性」という言葉、そして「主体的」という言葉、その言葉の使い方が僕と阿部さんで微妙に違うというところからであった。

まず第一に動画の中で阿部さんは「主体的」という言葉はおそらく1度も使っていなかった。それに対して僕はこのブログ記事の第一声で「主体的」という言葉を使っている。

第二に阿部さんは「主体性を高める」という言葉を使っていた。この「高める」という部分が、僕が無意識に思っていた「主体性」の使い方と違う部分であった。

この違いからわかるのは、阿部さんは「主体性」という言葉を使う時に、大なり小なりはあれど「人は主体性を持っている」という前提で考えているのだろう、ということである。

それに対して僕は多くの人が「主体性を持っていない」という前提で考えているということがわかる。

この違いに気づいたことはとても大きな気付きである。

これまで色々と学んでくる中で、「人それぞれ何かしらの理由や考えがあって行動している」ということはわかったつもりでいた。

これはつまり、どんな状況の人であれ、「主体的に行動している」ということに変わりはないのだということである。例え他者のいいなりに動く人であっても「他者のいいなりに動くということを主体的に選択している」ということです。例えそれが無意識であっても、自分の自分の意志でしか自分は動かせません。

個人差があるのは「主体性」のほうです。「主体性があるかどうか」ということは「主体的であるかどうか」というのと同じ意味なので、全ての人は「主体性を持っている」ということになります。

あとは「主体性が高いか低いか」ということを考えるわけですが、これも絶対的な指標があるようなものでは決してなく、あくまでも「その人が望む状態に対してその人の持つ主体性が効果的に働くかどうか」という観点での「高いか低いか」という考えです。

つまり、「あの人は主体性が100あるけど自分は50しかない」という風に安易に他者と比べられるようなものではなくて、「自分が求める効果・結果に対して必要と思われる主体性であるかどうか」という基準でしか主体性は測れないわけである。

このようにして見ると、僕の一番最初の言葉が無意味な言葉であることがわかる。

「より多くの人が主体的に考え、行動選択をするようになればいいな」

先ほど確認したように基本全ての人は主体的に行動選択をしているのである。だから僕のこの憂いは全く憂うことでもなんでもなく、すでに実現されているわけである。

これまで僕はこの疑問をスタートにして「どうすれば主体的になってもらえるか」ということを考えていたから、そりゃあうまくいかないわけである。すでに解決されていることを考えているのだから当然だ。

さらに、僕は「主体性」という言葉も「主体的」という言葉とほぼ同じ意味で扱っていたので、阿部さんのように「高める」という視点も弱かったし、何より先ほど言った「人ぞれぞれで指標が違う」ということもすっかり抜けていた。

何気なく「あの人は主体性が高いけどこの人は主体性が低いな」と安易にその高低を比べてしまっていた。

もっと注意深く見ていれば、主体性が高く見えたその人の方が求める効果・結果から考えるとまだまだ主体性が足りてなくて、主体性が低く見えたその人の方が求める効果・結果に対して十分な主体性を発揮していたかもしれない。

これまではどの人に対しても一律で「こういう風に主体的に考えた方がいいのに」と考えていたが、それは恐らく効果的ではなかった。そもそもこの「こういう風に主体的に考えた方がいいのに」という考え方自体が僕の「主体性の低さ」を物語っている。

この視点を得ることで、ようやく僕は他者の主体性にアプローチができるようになるのだと思う。

「その人が欲しているものは何か?」
「それを実現するためにどれくらいの主体性を必要とするのか?」

ということは、なかなか自分でも気がつけない。
(現に僕は今ようやく気がついたわけだし!)

相手がそのことに気がつけるように、そしてその人が主体性を高めて行くために「自分に何ができるか?」「効果的な行動は何か?」ということを考える。

これが僕自身が欲していた真の主体性なのだと思う。

これだけ主体性ということを考えてきてもなお、見えない大きな壁が立ちはだかっていたような、そんな感覚であった。

今回は僕のようにその「主体性の壁」に気づいていない人、あるいは越えようとしている人へ向けた記事でした。