わたるデザイン企画

フカンで観る:脱ニートに効果的な考え方②

2020.10.24

脱ニート

読了目安時間:(約字)

自分のことって、意外とよくわからないものですよね。

「自分ってこういう人間だ」って思っていても、他人から「あなたってこう人ですよね」って言われるのが全然違ったりする。

自分の行動を振り返ってみて、「どう考えてそうしたのか?」と考えると、案外よくわからない。何かしら理由をつけることはできるけど、それが本当なのか本質的なのかはわかっていなかったりする。

当然、今自分がどんな状態で、何を考えていて、何者なのか。
100%わかってるぜ!っていうことはなかなかないと思います。

じゃあわからなきゃいけないのか、わからないと何が困るのかって話なんですが、これもまたややこしい。

そこで、脱ニートという視点で一つ考えてみる。

ニートを脱したいと思う、けどできない。そういった状態の人にとって「自分のことを知る」ことはどういう効果があるだろうか?

そして「自分のことを知る」ためには何をすればいいのだろうか?
今日はそんなことを考えてみようと思う。

「知ること」は「逃げないこと」

前回、人が行動する時には「やらない理由」を探してしまうものだ、という話をしました。ニートに限らずそういった心理は当然働くものですが、この心理が強く働きすぎると行動力が著しく低下して、それこそニートになる・ニートで居続ける要因になり得ます。

僕はニート脱しようとしていた当時、自分が「やらない理由」を探して行動しない選択をすることを、ニートの「逃げる性質」と呼んでいました。

本来なら「ニートを脱する」という目的において効果的であろう選択肢に対してもやらない理由を探して行動しない、つまり前回話した「行動の原動力となる自分の気持ち」から逃げているという状態です。

こういった状態から抜け出すのはとても大変なのですが、一番大きな壁となるのはそういった自分の状態に「気がつくことができない」ということです。

多くの場合、人はどんな選択であっても自分では「正しい選択だ」と思って選択しています。たとえルールやモラルに反する行動だったとしても、「自分の気持ちに従うんだ!」とか、それ以外に何かしら自分を納得する理由を作ります。

そしてそういった自分の状態は「自分で自覚できない」ことがほとんどです。

何度もいいますが、これは人として当たり前の心理ですから、それがいいとか悪いとかそう言うことではありません。

ただ、その無意識の選択が「自分の求める目的に効果的でない場合」はやはり何かしら対策が必要なわけです。

そこで考えなければいけないのが「自分のことを知る」ということになるわけです。

つまり、自分のことを知るというのは「自分の行動選択を知る」ということなのです。自分がどういう心理で、どういう考え方で行動選択をしているのかを知ることで「自分が何を正しいと思って行動しているのか」を知ることができます。

そしてその「正しさ」が自分の目的に対して本当に「正しいのか?」と問いかけることで、自分の行動選択を変化させるきっかけとなります。

自分がニートであるという現状を知る、その現状を作り出している自分の行動選択を知る、その行動選択をする心理や考え方を知る。

そんなふうに自分を知ることが自分の行動を変化させるために大きな役割を担うわけです。

僕がニートとして「逃げる性質」と戦った方法は、自分を知ることだったのです。

自分を外から観る

では「自分を知る」にはどうすれば良いでしょうか?

それには自分を外から観る、つまり俯瞰(ふかん)で観ると言うことが必要になります。

「ふかんで観る」とはどういうことでしょうか?

基本的には「どういった視点で物事を観るのか?」という方法の一つです。

物事を観る視点としては、主観、客観というのがよく聞くところかと思います。主観は自分の視点、客観は自分以外の他人の視点で、よく「自分のことを客観的に観る」という言い方をしますが、実は「自分で客観的に観る」というのはとっても難しく、多分そもそも不可能です。詳しいことは省きますが、人は自分の主観からは抜け出すことはできず、あくまでも他人の視点を「想像する」ことしかできません。だから、自分のことを知る時に客観的な視点を使うというのは、実はかなりハードルが高いのです。

そこで活躍するのがふかんで観るという方法です。

ふかんで観るというのは自分の体を抜け出して上から自分を観るということです。

客観と何が違うかというと、あくまでも自分の主観のまま自分を外から観るということです。先ほどいったように自分の主観を離れるというのは基本的に不可能ですから、自分の主観で自分をみてあげないといけません。とはいえ自分を自分で見ようと思うと鏡を使ったりしても背中はちゃんと見えないし、なかなかよく見えないわけです。

ふかんで観ると、いわゆる幽体離脱の様に自分の体を抜け出して自分自身をくまなく見ることができる様になります。

と、言うとなんだかスピリチュアルな話?と思うかもしれませんが、そういう話ではありません。

ここまではふかんで観るということをイメージしてもらうためにこんな話をしましたが、実際にふかんで観るということを実践するのはとってもシンプルで現実的で簡単な方法です。

それは「自分の考えてることを書くこと」です。

先ほどは幽体離脱の様に自分の体を抜け出して観る、といいましたが、当然そんなことはできません。じゃあどうするか?自分の中から自分の考え方の部分を出してあげれば言いわけです。そしてそれは「書くこと」で簡単にできます。

自分がどういう考え方をしているのか、その考えに基づいてどう行動選択しているのか、そしてそれがどういった現状をもたらしているのか、ということをノートに書いていくのです。

そしてそれを後から読み返してみる。

するとどうでしょう、ノートの中には自分がいるじゃないですか。そしたらその自分をよーく観察することができるでしょう。

どんな言葉を使っているか?何を大事にしているか?どこで「逃げて」いるのか?

ということを自分で認識できるようになるはずです。
そうして自分のことを知ることができれば、行動を変化させるきっかけにでしょう。

書くこと自体が苦手、という方もいると思いますが、そこは以前の「ことば力を磨く」シリーズを見てもらえればと思います。

まとめ

さて、今回はいかがだったでしょうか?

ふかんで観るということはなかなかイメージしにくいかと思いますが、これができると何が効果的かというと、自分の行動選択を主体的に選べるように意識できるようになるということです。

自分が何を基準に行動選択しているのか?ということを意識できる様になれば、そのうちきっと自分の目的達成に効果的な行動を選べるようになります。

自分の行動選択を主体的に選ぶことは、自分の行動に自信を生むことにもつながります。その自信が脱ニートへの一歩を後押ししてくれるでしょう。