わたるデザイン企画

ためにならない話

2020.11.14

ブログ

読了目安時間:(約字)

「よっしゃやるぞ」

と気合の入った日。仕事を頑張って、部屋の掃除とか家のこともちゃんとやって、疲れて眠る。心地の良い夢を見て、充実した1日を喜んで、また次の朝を迎える。

するとどうだろうか?昨日のやる気はどこへやら、うだうだとベッドの中で時間を浪費する。冷えてきた朝を言い訳にスマホをいじっているうちに朝食の時間はとうに過ぎている。

無理にやる気をあげた反動か、いざ休みとなると溜まった作業も放り出してだらけた1日が始まって、何事も起きないままに終わってゆく。

その繰り返しの中で、何度も無駄な時間を過ごして、何度も充実した日々を過ごして、そして歳を重ねて死んでいく。

大きく考え方が変わろうと、大きく環境が変わろうと、何か根本的な性質は変わらない。それはこうして自分を俯瞰的に見た時に気がつく。

何年経とうが、どんな経験を経ようが、自分の人生はさほど大きく変わっていかない。
変わるのは一つ、「その変わらない人生をどう捉えるか?」というところだけ。

WEBクリエイターを目指す人たちの前で、自分のこれまでの経験を話す。

「とてもためになった」
「もっと話を聞きたい」

とありがたい言葉をもらって嬉しい反面で、
「ためになる話をするだけでいいのだろうか?」とも思う。
僕が周りの人に与えたいと思うのは「疑問」。
「ためになった」と感じるということは、何かしらの「納得」があったということ。
「納得」は「疑問」とは反対にあるもの。いや、対岸にあるものと言った方がいいか?

ともかく、僕と関わって何かを得てもらうとすれば「納得」よりも「疑問」が理想なのだ。だから、僕が欲しい感想は「なんだかよくわかりませんでした」というようなものの方がよい。

一つ嬉しかったのは
「楽しそうに生きてるように見える」
と言われたことだろうか?

本当はそこからもう一歩
「どうしてそんなに楽しそうなんだろう?」
と思ってもらうこと。

僕の悪い癖で、そこですぐに「納得」させたがる。
そりゃそうだ。相手が納得して
「ほぉ〜」
と言ってくれたら、気持ちがいい。

そうじゃダメなんだな。
「ほぅむ???」
と思ってもらいたい。

厳しさってなんだろう?
優しさってなんだろう?

他人の成長にエンパワーする時に、その二つをどう使うのがいいんだろう?
使おうと思っても厳しさを使えないし。
嫌われたくないとかじゃなく、効果的な厳しさの使い方をうまくできない。

役割として優しさだけでもいいのかな?とも思うけど、じゃあその優しさは効果的な優しさなのか?と言われるとわからない。

全ての価値観を否定せず、尚且つ全ての人の価値観をアップグレードするにはどうしたらいいだろう?

その考え方の時点ですごく傲慢で、全てを否定しているような気もするし、でも他のどの革命的な思考でもできないことをやろうとして考えている。

机上の空論ですら形にならないものを果たして本当に現実にできるだろうか?と疑いたくもなるが、もうやりたいと思ってしまったから仕方がない。

ふと、なぜ「革命」なのかと疑問に思う。
「革」という感じの違和感である。
革には二つの意味があるらしい。
一つは単純な動物の「革」。正確には加工されてなめされた革である。
もう一つは「あらたまる。あらためる。新しくする」という意味。

動物の「皮」があらためられて「革」となるから?なぜこの2つの意味が同じ漢字なのか?
しかも「革命」となれば「いのちをあらためる」ということになる。
「世界の価値観を変えること」と「いのちをあらためる」という言葉、絶妙に結びつかない。

その辺りに僕のやりたいことのヒントがあるのかもしれない。

思考を垂れ流す。
こんなことが常に頭の中をグルグルと回って、止めどない。
普段はあまり口にはしない。
なぜなら誰のなんのためにもならないから。
自己満足ですらなく、もはやただの時間の浪費であるから。

でも言葉にせずにはいられないこともある。
言葉にしてみないとわからないこともある。
そんな時は大抵ノートにひっそりとしたためてきた。
それをブログに載せてみる。
何か目的があるわけじゃない。
ただ記事のネタが思いつかなかっただけである。

それでも本当は多分。
こんなためにならないようなことを伝えていきたいというのが、僕の本筋な気がしている。
今回はきっと誰も楽しめない文章で、誰にとってもなんの価値もないものになったけど。

これがもしも、なんのためにもならない話なのに、面白いと思ってもらえるものが作れたなら。
多分そこには僕が愛して止まない「疑問」がたくさん生まれることだろう。

あぁ楽しいな。

何にもならない思考と、
何にもならない言葉と、
何にもならない時間。

僕の人生を的確に表す言葉。
その何にもならない人生が、
何かになっていくと思うと。