わたるデザイン企画

「想像力」を考える

2020.04.24

ブログ

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どーも!
札幌でフリーデザイナー・コーダー・コピーライターとして活動しています、わたるデザイン企画の五十嵐です!
前回は「創造力」をテーマでしたが、今回は「想像力」です。同音異義語の代表格のような二つの言葉で、この二つの言葉を普段使い分けてはいるけれども、実際何がどう違うのか?ということをはっきりとさせたことはあまりないかも知れません。
前回『創造力について考える』の中で、創造力とは「分解して考える力と組み合わせて考える力を合わせた力のこと」と自分なりに再定義してみました。今回テーマとする「想像力」はその創造力を構成する2つの力に密接な関係があると僕は考えています。
ではそのことについて説明していきましょう。

例によってまずは言葉の意味から考えてみます。
想像という言葉をGoogleで検索して調べてみると「実際に知覚に与えられていない物事を、心の中に思い浮かべること。」と出てきます。 「実際に知覚に与えられていない物事」というのはつまり、見たり聞いたり触ったりしていない物事のことでしょう。
ここではっきりさせておきたいのは、「実際に知覚に与えられていない物事」の時系列についてです。もしこれが「 “ 過去にも ” 実際に知覚に与えられていない物事」という意味が含まれるならば、今までに1度でも見たり聞いたり触ったりしたものを思い浮かべることは想像ではないということになります。今目の前にあるわけではないリンゴを頭の中に思い浮かべても、それは想像したことにはならないのでしょうか?とすると、想像するというのはそうとう難しいことになりそうです。

この意味からだけではわからないので、他の検索結果をみてみます。
するとどうでしょう「実際には経験していない事柄などを推し量ること。また、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。」と出てきます。こちらは先ほどよりもより思い浮かべる対象を限定していますね。
この二つの意味をまとめると、

1.現実に存在する(起き得る)が、自分は今までに知覚したことのない物事を思い浮かべること。
2.現実には存在しない(起こり得ない、起きていない)物事を思い浮かべること。

となります。 やはり言葉の意味だけを考えると、「想像」することは思ったよりも難易度が高そうですね。

では、最初に少し触れた「創造力」との関係で考えてみましょう。
創造力とは「分解して考える力と組み合わせて考える力を合わせた力のこと」と定義していました。
このうち「分解して考える」ことを考えてみます。
分解する対象はすでに知覚しているとすると、そのものを対象に想像をすることはできません。 では分解してバラバラになったそれぞれの要素はどうでしょうか? 例えば今あなたがこの記事を読んでいるスマホやパソコンは、見て触れて知覚しています。でもその中身はどうでしょう?スマホの中を開けて部品を一つ一つ確認したことはあるでしょうか?もしかしたら自作したパソコンを使っている人は中身を見て把握しているかもしれませんが、そうでなければ中身を知覚していると言える人はあまりいないのではないでしょうか。
つまり、分解する対象の中身を知らない状態であれば、それを分解して考えようとする時に「想像力」を使う可能性があるということです。
さらに言えば、分解する対象の段階に応じて知覚していない情報があることもあります。
再びスマホを例にして、今度は機能的な面での中身を考えてみましょう。スマホにはOSと呼ばれるシステムが入っていて、そのOSの上で様々なアプリケーションが動いています。それらが全てデータであることはわかりますが、それを知覚しているか?と言われると急に自信がなくなります。どんなアプリが入っているかは知っていても、そのアプリの中にどのようなデータが入っていて、どのように動いているかは知覚できていません。下手するとスマホに入っているアプリを全て把握できていないこともあるかもしれません。
このように、大きな枠組みで考えると知覚できているけれど、細かく要素を分けるとそこから先は知覚できていないということもあるわけです。そういった場合には、「この中には何が入っているのだろう?どのようなもので構成されているのだろう?」と「想像」することができるわけですね。
「分解して考える力」の中に「想像力」は含まれていそうです。

創造力を構成するもう一つの力「組み合わせて考える力」と「想像力」の関係はどうでしょうか。
組み合わせる、ということは組み合わせる前の2つ以上の要素があるはずです。それらは知覚できているとすると、想像する対象にはなりません。
では組み合わせた後のものはどうでしょう? 想像という言葉の定義から考えると、組み合わせた後のものが「過去に知覚したことのないもの」か「存在しないもの」であるならば、組み合わせた後のものを「想像できる」ということになります。 逆に言うと、何かを組み合わせてすでに知っているものを作ろうとしている時は、想像力は働いていないということになります。
「グーチョキパーで何作ろう?右手がグーで左手がチョキで…」 の先で何を作るのか、今までに一度でも作ったものを考える時は想像力は使わないということです。 グーとチョキで「カタツムリ」を作ったことがあるのなら、それを思い浮かべる時には想像力は入りません。記憶力とか、そういった力でしょう。試しに、グーとチョキで今まで一度も作ったことがない形を考えてみてください。その時の頭の働きが想像力です。
そのように「組み合わせて未知の何かを作ろうとする時」には「想像力」を使うということです。
もともと創造力の中には「新しいものをつくり出す」という意味も含まれていましたから、「組み合わせて考える力」の中には「想像力」はしっかりと含まれていそうです。

「分解して考える力」と「組み合わせて考える力」、つまり「創造力」の中に「想像力」が含まれていることがわかりました。 さらに、想像力とは「知識や経験のある事柄」には作用しなさそうだということもわかりましたね。想像力とは「未知のもの」と対峙する時に発揮される力なのでしょう。 自分の知らないこと、わからないこと、目に見えないこと、そういった未知のものを探すことが想像することなのです。そして想像することが創造することになっていくわけですね。
いきなり未知の物事について考えるというと難しく感じるかもしれません。でも思い出してみてください。「分解して考える力」と「組み合わせて考える力」について考えた時、それぞれ最初に「分解する対象」と「組み合わせる複数の要素」は知覚できる状態から始まりました。つまり、全く何もない状態から想像するのではなく、今見えるもの、聞こえるもの、知覚できるものから想像は始められるということです。グーとチョキで何を作ろうかと考えた、あの感覚です。 今目の前にある「知覚できているもの」に改めて目を向けて、「まだ知覚できていないもの」を探してみてください。それが想像力になります。

ちなみにですが、今回は話がややこしくなるので触れませんでしたが、「知覚できないもの」を分解したり組み合わせたりすることだって可能なはずです。
それは想像力をもっと高めないとできないことかもしれませんが、今すでに「そんなことができるだろうな」と想像できているのだから、きっとできます。
もしそれができたなら、想像が想像を呼び、誰にも思いつかない新しい創造が生まれるかもしれません。

未来というのはそんなたくさんの想像と創造でつくられているのかもな、と少し思いました。